16世紀(前後)と大航海時代と日本の動き

この記事は、もすーんアドベントカレンダー12月16日に掲載するために書きました。

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世界史の舞台が、陸から海へと変わった、その時代のお話。

スペイン・ポルトガルが、イベリア半島から、
イスラム勢力を追い出すことに成功したので、
調子に乗り、

ポルトガルは、アフリカを通じて東側に、
スペイン(とくにコロンブス)は、なぜかわからず、西側に

お互い世界を「はんぶんこ」しようと、
トルデシリャス条約まで結んで、地中海世界を飛び出し、
大西洋へ漕ぎ出していったのでした。

 

ポルトガル

・こしょうが欲しいけど、アラブの商人通すと、めっちゃ高いねん。という理由で、
 ポルトガルは、アフリカを回って、インド洋に出て、
 南アフリカ喜望峰を回り、アフリカ東海岸を北上。

 そうすると、広がるのは、アラブの商人たちの行き来するインド洋。
 陸伝いに航海するのは、海をずっと漂うよりは、いいけれど、

 インドにつくなり、「ありったけの香辛料」をくれと買い付け。
 そりゃ、昔からの卸売りのアラブ商人(→これは実は、コンスタンティノープルや、イタリアに通じている)は、
 怒るわな。

 オコられたポルトガルは、逆切れして、武力で制圧しつづけ、

 ついに、東南アジアのモルッカ諸島に到達して、香辛料をゲット。

 

【スペイン】
マルコ・ポーロの東方見聞録によると、ジパングに黄金があるんだって?
 ということを真に受け、今だったら、盗んだバイクで走りだしてるであろう、
 コロンブスは、どうやったか、わからないけど、
 「必ず黄金を見つけ出します」と(ウソをつき)ポルトガルでは相手にされず、
 スペインのイザベル女王から、多額のマネーを成立させ、
 西へ漕ぎ出していったのでした。

 カナリヤ海流に乗って出た先は、あのインドと勘違いしたコロンブス
 ほとんどの船員を壊血病というビタミン不足で、見殺しにしつつ、
 反対されながらも、見事、1492年10月12日、(カリブ海にあるがインドと勘違いした)コロンブスにより、
 西インド諸島に到達。

 その後のひどい顛末は、まぁ、皆さんのご存じの通りです。

 (ちなみに、カリブ海に、黄金はなかったので、コロンブスは、まぁ、そりゃあ、

  ひどい死に様でした。)

 

【日本】
さて、そんな世界を二分しようとしていた、スペイン、ポルトガルの両国ですが、
さっき、書いたトルデシリャス条約の間抜けな点が30年越しに発覚、

「地球は丸いんだから、ブラジルの反対側にも、線引いとかないと困るじゃん」ということで、
サラゴサ条約を設定。

それが、ちょうど、日本の真上を通過。

それで、スペインとポルトガル、どっちも日本を引っ張り合うわけですが、
日本は戦国時代の終局点、秀吉が天下を収めようとしていた時期にあたり、

あらまぁ、どっちの国も手を出せないほどの、軍事大国に日本はなっていたのでした。

(どっちの国も、群雄割拠の時代に各国の武将に死の商人をやってたんですけどね)

 

本当に簡単ですが、最近、わかった大航海時代の話でした。